文化活動

 パリ国際大学都市日本館は、1953 年 5 月に日仏両政府が交わした「日仏文化協定」に規定される日仏文化施設の一つとして、両国間の文化交流に大きな貢献をしてきました。現在でも日仏の学者・知識人による講演会やシンポジウム、日本人芸術家による音楽会や美術展など、多彩な文化活動を展開しています。日仏文化交流の促進を目的として、以下のような文化活動が日本館において催されています。
 日本館の文化活動に興味をお持ちの方には、「日本館友の会」の会員にご入会ください(会費無料)。イベントについての情報を適宜、お送り致します。

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  • 広島・長崎:80年の時を超えて
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  • インターン感想

日本館館長による開会のことば

ご来場の皆様。 
 8月は、私たち日本人にとって特別な月です。未曾有の悲惨な出来事があったからです。だからこそ、本日8月1日、フランスではバカンスの時期であるにもかかわらず、広島と長崎に関する展覧会を開幕することにしました。ご来場いただいた皆様には、日本館館長として心からお礼を申し上げます。この展覧会は、アメリカ館と共催するものです。アメリカ館のディヴァル館長には、この場にご列席を頂き、光栄に存じます。

 80年前に投下された2発の原子爆弾によって、30万人以上の人々の命は奪われ、生き残った人々の人生は破壊され、打ち砕かれてしまいました。80年前といえば、今年100周年を迎えるパリ国際大学都市の創設から20年が経過した年です。
 今回の展覧会は、広島と長崎の写真を展示することによって、核兵器の恐ろしさと非人道性を世界に訴え、「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ」という誓いを広めることを目標としています。広島と長崎は、原爆の惨状を示す、現在でも唯一の証拠だからです。
 核兵器の使用、不使用を議論しようとすれば、人は必ず、そこに立ち返らざるを得ません。実際、核の悪に関するいかなる意見も、まず原爆投下によって引き起こされた被害を知ることから始める必要があります。その意味で、二つの街は「記憶の場」なのです。ここから核のタブーが生まれました。核のタブーは、広島と長崎の記憶の再現なのです。

 原爆の投下によって、広島と長崎には、言語を絶する無惨な光景が広がりました。そこから衝撃、恐怖、怒りが走り、核のタブーが生まれたのです。核のタブーは、80年の間、核兵器を「単なる兵器の一つ」として見ることを阻んできました。80年の間、核兵器保有国による核兵器の使用を阻んできました。
 けれども、世界の政治指導者や市民によって核のタブーが破られないという保証は、どこにもありません。今、必要なことは、80年の間、存在したこのタブーを、あらゆる手段を尽くして、できれば永久に維持し、さらに強化することです。核危機の時代を迎えて、私たちは人類の「記憶の場」である広島と長崎を改めて訪ねる必要があるのです。
 実のところ、記憶とは、過去の出来事を単に記録することではなく、過去を現在と同様に蘇らせることです。言い換えれば、記憶の本質は過去を現在へと変容させることにあります。しかし、記憶は、自動的に世代から世代へと伝わるわけではありません。それは意志に基づく行為だからです。一方で語り手がいて、他方で聞き手がいて、初めて可能なのです。日本館での展覧会、そしてそれに続くアメリカ館での展覧会は、記憶承継の場になることを目標としています。
 この目標を達成するため、展覧会と並行して、9月12日にはアメリカ館において、広島と長崎からそれぞれ被爆三世の証人を招いて、講演会を開催します。さらに、9月18日にはカナダ館において、パリ在住の長崎の証言者によるお話が加わります。

 8月は、私たち日本人にとって特別な月です。広島と長崎は、世界全体にとっても特別ではないでしょうか。広島と長崎の記憶を承継することは、先ほど申し上げたように、意志に基づく行為です。私たちは、それに参加することも、忘れることも、自由です。しかし、私は言いたいです──

 I hope you’ll join us today
 And the world will be as one

 ご清聴、ありがとうございました。

2025.08.01    
日本館館長 金山直樹


アメリカ館館長

 在フランス日本国大使館・アメリカ合衆国大使館、パリ・イル=ド=フランス学区、パリ国際大学都市のご代表の皆さま、日本館、カナダ館、スイス館、ハインリッヒ・ハイネ館の皆さま、そして親愛なる皆さま、本日、アメリカ財団を代表して、この記念行事の開幕を迎えることができ、心より光栄に存じます。
 これは、日本館と私たちの財団との強い連携のもとに実現した、記憶と平和への道のりの始まりでもあります。この追悼の時は、ここ日本館での展覧会を皮切りに、9月からはアメリカ財団のギャラリーにて継続されます。
 今年100周年を迎えるこのパリ国際大学都市が、国際的な交流、若者、文化、対話によって平和を築くという夢から生まれたことを、今改めて想起します。記憶を継承することは、平和という理想を信じ続けること。知と創造の光のもとに、平和は脆く、日々の行動と誓いによって守られるべきものなのです。
 1945年8月6日、昭和20年。運命の日を語る言葉は、今もなお容易ではありません。広島、そして長崎に襲いかかった想像を絶する悲劇。大国日本は、炎と瓦礫の闇に沈み、未曾有の衝撃に打たれました。それは「ピカドン(光と音)」の時代でした。肉体にも精神にも深い傷を残した爆発の衝撃波は、今も人々の身体と心に息づいています。
 歴史は語り継がれています。アメリカ人作家ジョン・ハーシーの『ヒロシマ』は、その証言のひとつです。そして今、その孫であるアーティスト、キャノン・ハーシー氏が、日本人映像作家タク・ニシマエ氏とともに、「フューチャー・メモリー」という芸術的かつ市民的なプロジェクトで、その物語を新たに紡いでくれます。両氏は9月から10月にかけてアメリカ財団に滞在し、インスタレーション、パフォーマンス、象徴的なコンサート、ディスカッション、そして参加型のワークショップを通して、記憶、平和、そしてレジリエンスを探る活動を展開します。
 この文化プログラムは、パリ国際大学都市100周年の一環であり、日本館と日本大使館、スイス館、カナダ館、ハインリッヒ・ハイネ館の皆さまのご支援によって実現します。痛みではなく、傾聴と和解、未来への責任を結ぶ「橋」なのです。この貴重な協力の機会をくださった日本館の皆さまに、心からの感謝を申し上げます。

 この協働は、きっと始まりにすぎません。ともに歩みながら、私たちは記憶を尊び、より正しく、賢明で、人間らしい未来の種を、静かに、けれど確かに蒔いていきます。
 最後に、心に刻みたい平和の願いをお伝えします。
 平和への願い – Heiwa e no negai – 平和への祈りをこめて。
 ありがとうございました。

2025.08.01      
アメリカ館館長    
ジョアン・アンフォッシ−ディヴァル

私は、イナルコで5年間、充実した毎日を送り、修士号を取得した後、日本関連企業・施設でインターンシップをすることになりました。日本館でインターンをする機会を得たことは、かけがえのない経験でした。建物の美しさ、そして職員と入居者の方々の親切な対応は、満足感と大きな喜びをもたらしてくれました。

 私は様々な業務に携わりました。時には、オンラインで様々な情報発信やニュースレターのデザインといった事務的な業務もありました。けれども、それらは日本館の円滑な運営にのため、不可欠なことでした。同時に、芸術的、文化的な行事にも携わることができました。館長が自作の歌を歌う際には同行したり、音声器具を扱ったり、イベントを撮影したり、ポスターをデザインしたりもしました。このように、業務の内容は多岐に亘り、求められるスキルもそれに応じて多岐に亘ります。さらに、幸運にも、私は館長から依頼されて、そのオリジナル曲の歌詞の翻訳に携わる機会も得ました。

 校正、添削、翻訳などをする中で、自分の仕事の成果を実際に目にすることで、自分の能力を、具体的に認識することができました。まさにそのために誇りと情熱を持って努力を重ねて磨いてきた能力です。

 このインターンシップを通して、これまでの学びの成果を改めて確認することができました。短い期間ではありましたが、温かいご指導を賜り、心より感謝申し上げます。この経験を通して得た自信を、今後の更なる飛躍の糧としていきたいと思います。

フランク・ビダル(美墜涙 仏蘭句)

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