日本館の100周年に向けて

2025年、パリ国際大学都市は創立100周年を迎えました。この記念すべき年には、特別なイベントや展覧会が開催されました。

また、2029年に日本館(Maison du Japon)薩摩財団は、開館から100周年を迎えます。日本館は、長年にわたり日本と世界各国との学術・文化交流の架け橋として重要な役割を果たしてきました。パリ国際大学都市の中でもひときわ特色ある存在として、日本の伝統と現代性が共存するこの施設は、多くの留学生や研究者にとって第二の故郷となっています。この100周年を記念し、記念式典や文化イベントの開催が予定されています。

  • 館長挨拶
  • 100周年記念-詩の椅子
  • パリ国際大学都市とは
  • 日本館の歴史
  • 薩摩治郎八
  • ご支援のお願い

館長挨拶

 日本の桜も満開の季節となりました。

この度、4月1日から日本館の館長を務めることになりました増田是人と申します。私は過去25年以上にわたり、職務上フランス語圏で過ごしてきました。フランス、ベルギー、カメルーン、チュニジア、マリ、モーリシャス、そしてニューカレドニアの大使館や総領事館等に勤務して参りました。業務としては、経済協力、政務、安全保障、文化広報、領事事務等、多岐に渡ります。

これらの海外経験を経て痛感したことがあります。昨今の混迷を深める世界情勢の中、世界平和に欠かせないものは『寛容さ』と『相互尊重』の精神ではないか、ということです。これは、まさしく、このパリ国際大学都市設立の精神でもあります。

私は、日本館のレジダンの皆様が勉学・研究に安心して専念できる環境整備を進めると共に、日本館が日本とフランスの学術・文化交流の拠点として益々発展するよう尽力していく所存です。

フランスでは復活祭も近づき、日毎に春らしくなっております。新しい季節の始まりにあたり、皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申しあげます。

                    2026年4月1日 


     日本館館長 増田是人

 カナダのアーティスト、ミシェル・グーレと、フランスの詩の団体「Poésie is not dead」創設者フランソワ・マスュが共同で生み出した 47脚の詩の椅子 が、パリ国際大学都市公園の大芝生の奥、花々が咲き誇る特別な草原に静かに佇んでいます。

それぞれの椅子は、パリ国際大学都市の47館を象徴しており、背もたれには建物の建築様式や国ごとの伝統から着想を得た模様が刻まれています。座面には、そのハウスにゆかりのある卒業生や著名人の言葉が添えられ、詩的で記憶に残る物語が息づいています。

また、QRコードを読み取れば、耳で語られる物語を楽しむこともでき、過去と現在が静かに響き合う親密な体験が広がります。

しかし、これらの椅子は単なるアート作品ではありません。椅子の向きは、出会いや会話を自然に生むように工夫されており、それぞれが互いを向き合っています。訪れる人が座ると、静かな対話が生まれ、二人、三人、あるいはグループでの心の交流が広がります。こうして、他者を知り、感情を分かち合い、多様性と交流の精神に満ちたパリ国際大学都市の世界を体感することができるのです。 Prendre position : les chaises-poèmes – Citescope

日本館の椅子には、薩摩治郎八氏の言葉 ≪ 夢と機会が交触することによって、人生の蜃気楼は生まれ出る ≫ が刻まれています。

パリ国際大学都市とは

                                     Cour d’honneur

パリ南端第 14 区に位置するパリ国際大学都市(Cité Internationale Universitaire de Paris)は、1925年にフランスの文部大臣アンドレ・オノラ氏の提唱によって創設された、パリ大学をはじめとする首都圏の高等教育機関や研究機関に在籍する世界各国の学生や研究者に宿舎を提供し、あわせて文化・学術の交流を推進することを目的とした施設です。 

パリ国際大学都市の本部建物には、図書館、劇場、室内プール、レストラン、銀行などの施設が設けられています。その本部建物を囲むように、広大な34ヘクタールの敷地内に47の建物が点在しています。これらは、いずれも学生や研究者のための宿舎です。各館は、大学都市本部が直接運営する直轄館のほか、各国の政府や財団、またはフランス国内の教育・研究機関が運営する非直轄館に分かれています。

日本館は、アメリカ館、スイス館、カナダ館、インド館、イタリア館、スペイン館などと並び、政府管掌の非直轄館の一つです。これらの外国館は、それぞれの国の特色を反映した独自の建築様式を誇っており、大学都市全体がパリの名所の一つとして知られています。

現在、パリ国際大学都市には、約12,000人の学生や研究者が居住しており、その出身国は150カ国以上にのぼります。各館は、自国出身の居住者を全体の70%以下に抑え、残りの定員を他国からの学生や研究者に開放することで、国際的な交流と異文化理解を促進しています。

2025年に100周年を迎えるにあたって、マスコミの製作にかかる動画が下記にアップされています。

興味のある方は、ご覧下さい。

日本館の歴史

  日本館(Maison du Japon)の正式名称は「パリ国際大学都市日本館ー薩摩財団」といいます。

この名称は、1920年代後半、当時パリで文化活動を支援していた薩摩治郎八氏が、パリ国際大学都市の創設者オノラ氏のビジョンに共鳴し、私財350万フラン(当時)を投じて日本館を建設し、大学都市に寄贈したことに由来します。薩摩氏は、文化と平和に基づく未来の世界を共に夢見、若い世代のための交流と相互理解を促進する場の創設を支援しました。

日本館は、日本古来の城廓を模した地上7階・半地下1階の建物は、フランス人建築家ピエール・サルドゥーが設計したもので、1929年5月に当時のフランス大統領や藤田嗣治などの臨席のもとに竣工式が行われました。

日本館の周囲は1825平米におよぶ日本庭園が広がり、日本館の建物とあいまって大学都市の一隅に日本的な雰囲気を醸しだしています。大サロンと玄関廊下には藤田嗣治画伯の二幅の大きな油絵が掲げられており、大学都市屈指の芸術作品として高く評価されています。

日本館は、1953年5月に日仏両政府が交わした「日仏文化協定」に基づく日仏文化施設の一つとして、両国間の文化交流に大きく貢献してきました。現在も、学者・知識人による講演会やシンポジウム、展覧会、居住者の研究発表、音楽学生によるコンサートなど、多様な文化活動が活発に行われています。

これまで日本政府の援助を受け、日本館は、二度にわたり全面的な改修工事を実施してまいりました。しかし、時の経過とともに老朽化が進み、現在では再度、大規模な改修が求められています。

薩摩 治郎八 (1901年4月13日東京都生-1976年2月22日徳島県没)

薩摩治郎八は、東京の裕福な商人の家に生まれました。1920年にオックスフォード大学でギリシャ演劇を学び、1922年にパリに移住しました。

1929年、日本館を設立するにあたり、治郎八は父・治兵衛に建設費用の全額を依頼し、その支援を得て日本館・薩摩財団を創立しました。

パリ国際大学都市(CiuP)の創設者であるオノラ氏のビジョンに共鳴し、治郎八は文化と平和に基づく未来の世界をオノラ氏と共に夢見、若い世代のための国際交流と相互理解を促進する場所の創設、パリ国際大学都市を支援しました。

既にフランスよりレジオン・ドヌール勲章5等のシュバリエを得ていた治郎八は、日本館の創設における重要な役割が評価され、28歳で4等のオフィシエを授賞しました。

治郎八は日仏関係において重要な人物となり、マティス、ラヴェル、コクトー、藤田嗣治など、数々の著名な芸術家や知識人と関わりを持ちました。彼は、日本およびフランスの芸術家を支援し、その時代の日仏文化交流の象徴的な人物となりました。

戦後1951年に帰国してからは、破天荒な人生とパリで培った芸術や社交の豊かな知識を生かして執筆や日仏交流へ貢献をつづけ、帰国後に結婚した婦人の故郷、徳島県で1976年に世を去りました。

ご支援のお願い

日本館は、薩摩治郎八氏の多大なる寄付により1929年に開館されました。彼の寛大な支援は、パリ国際大学都市における日本と世界との交流の礎を築き、多くの学生や研究者がここで学び、友情を育む場となっています。

現在、日本館は開館100周年を見据えた大規模改修工事を計画しております。これからの時代にふさわしい安全性と機能性を備え、次世代の学びと交流の場としてその役割を果たし続けるためには、皆様からのご支援が不可欠です。

これからの100年に向け、日本館が引き続き国際的な学問と文化の交差点であり続けるために、皆様の温かなご支援を賜れましたら幸いです。

薩摩氏の志を引き継ぎ、私たちもまた、この歴史的施設を守り、未来に向けてその役割を広げていく責任を共有してまいりたいと考えています。

ご賛同いただけましたら、日本館の未来を共に築く一助として、皆様のご支援をぜひお寄せいただけますようお願い申し上げます。

寄付に関するお問い合わせは、administration [at] maisondujapon.orgまでご連絡ください。※[at]を@に置き換えてお送りください。