日本館の歴史

  日本館(Maison du Japon)の正式名称は「パリ国際大学都市日本館ー薩摩財団」といいます。

この名称は、1920年代後半、当時パリで文化活動を支援していた薩摩治郎八氏が、パリ国際大学都市の創設者オノラ氏のビジョンに共鳴し、私財350万フラン(当時)を投じて日本館を建設し、大学都市に寄贈したことに由来します。薩摩氏は、文化と平和に基づく未来の世界を共に夢見、若い世代のための交流と相互理解を促進する場の創設を支援しました。

日本館は、日本古来の城廓を模した地上7階・半地下1階の建物は、フランス人建築家ピエール・サルドゥーが設計したもので、1929年5月に当時のフランス大統領や藤田嗣治などの臨席のもとに竣工式が行われました。

日本館の周囲は1825平米におよぶ日本庭園が広がり、日本館の建物とあいまって大学都市の一隅に日本的な雰囲気を醸しだしています。大サロンと玄関廊下には藤田嗣治画伯の二幅の大きな油絵が掲げられており、大学都市屈指の芸術作品として高く評価されています。

日本館は、1953年5月に日仏両政府が交わした「日仏文化協定」に基づく日仏文化施設の一つとして、両国間の文化交流に大きく貢献してきました。現在も、学者・知識人による講演会やシンポジウム、展覧会、居住者の研究発表、音楽学生によるコンサートなど、多様な文化活動が活発に行われています。

これまで日本政府の援助を受け、日本館は、二度にわたり全面的な改修工事を実施してまいりました。しかし、時の経過とともに老朽化が進み、現在では再度、大規模な改修が求められています。